りかかった。
 丁度土曜日で、おもんは学校が昼迄で済み、日向の縁側で、人形の着物を縫っていた。傍には、身重な母親が張り板をよせかけ、指先を真赤にしながら、古い裏地を張っている。
 暮のことで、表通りの方からは売出しに景気をつける楽隊の音が聞えて来る。おもんは、赧い髪の蓬々とほつれた小さい頭で、ぼんやり正月の楽さを想っていた。彼女にも、貧しいながら少女らしい正月のよろこびはあった。大晦日の晩、一枚桃色の襟巻を買って貰う約束が、母親との間に結ばれていたのである。
 おもんは、いきなり自分を呼ぶ母親の鋭い声に驚かされた。
「おもん、お前沢田のおばさんの処を知っているだろう?」
 性質の機敏でないおもんは、不意を打たれてぼんやり母の色艶のわるい顔を見上げた。
「ほら、この間も来た――お産婆さんだよ。赤い電燈のついた」
 おもんは、あわてもせず、
「あそこなら知ってるわ」
と答えた。
「駈けてってね、直ぐ来て下さいって。直ぐだよ」
 母親は、堪え難い苦痛を覚えるらしく、眉根を歪め、体を折り曲げて縁側から這い上った。
 使を果して帰って見ると、母親は床に就いて、俄に怖ろしくなった眼を凝《じ》っと天
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