健介は、まだ酒ののこっている盃をかばいながら、当惑そうに笑った。
「僕はほんとにいけないんですよ。遠慮でも何でもないんだから、どうぞかまわず御自由になすって下さい」
「ほんとですか?」
 小関は、おどけた様子で疑わしそうに、ちろちろ健介とおせいの方とを見較べた。
「うそじゃあありませんのですよ」
 笑いながら、おせいも傍から言葉を添えた。
「ほんとにうちでも不調法なんです」
「……情けないお客様だねえ」
 やがて主人は真面目に詰らなそうな声を出して、歎息した。
「貴方、一杯や二杯は、薬にこそなれ、ちっとも毒になぞなるもんじゃあないんですぜ」
「それはそうでしょうな、だから貴方なんかもそんなに御達者なんでしょう」
 危く機嫌をわるくしそうだった主人は、健介の言葉で、忽ち調子をとり戻した。
「そうですとも! 全くこれのおかげですよ。これさえありゃあ、もう何にもいりません。一昨年のあの人死にの多かった感冒にだって、こちとらはびくともしないんですからね。ええ、ええ。もうこれだけが、私の楽しみです――山際の安さんなんぞは、随分いけるんでしょう?」
 彼等の間には、また新らしく故郷の酒客の噂が
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