を中心に勉強する。
春は野に来た、山に来た。蝶々が舞います、というだけの、ブルジョア小学校の「春」と大分内容が違う。
春は気候がどう違って来るか。草木はどんな変化を見せるか[#「春は気候がどう違って来るか。草木はどんな変化を見せるか」はゴシック体](そこで自然科学と観察を習う)
春、都会の人々はどんなに働くか。農村で人々は春どう働くか[#「春、都会の人々はどんなに働くか。農村で人々は春どう働くか」はゴシック体]?(生産と社会労働、特に今なら五ヵ年計画による工場の生産拡大、農村の集団化が説明される)
子供は、働く大人をどう助けるか[#「子供は、働く大人をどう助けるか」はゴシック体]?(ここで実際の仕事をいろいろやる。都会の小学校は、公園へ保護鳥の巣箱を吊りに行く。その小学校の学生が支持している、一定の集団農場の手助けにも出かける。そういう旅行で、地理も習う。測量も習う。上級なら、この季節、外国の、東洋の植民地農業労働者の搾取状態までに及んで、経済政治を覚えるのだ)
各学課が重箱式に、機械的に分けられ、つみ重ねられていない。一つの題目は次の一つの題目へとかたく生活的な結びつきでの
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