流にそういうものを愛している。
 パンフョーロフの「貧農組合」はこのコンムーナの夜番ザイツェフにどんな印象を与えただろうか。
「短く云っちまえば、総体として、この小説はためになるもんだネ」
 ザイツェフは云い出した。
「文句も大衆にわかりいい。だが、思想はチラバラだ。俺は、あの小説からまとまったものは何も感じなかった。何だか、こう散らばって、ブン撒かれている。頭ん中にいろんな切れぱしが残った。だが、小説を毎日少しずつ区切って読んで貰ったからじゃない。分るだろう? 特別豪勢な場面や、ハッキリした印象ってもんがちっともないんだ。小説ん中へ出て来るどの人物にしろ、何か事件を始めてそれをしまいまでやっつけるって云うことがない。小説は集団生活を書いたものだのに、実際は集団生活なんぞ、書かれてはいない。俺達は百姓が二度集団的に擲り合ったのと集団的に魚スープ(ウハー)煮たのと、そういう集団を見ただけだ。どんな集団耕作だか、びっくらするヨ。一人トラクターで耕してるぎりで残りの組合員どもは何にもしねえ、わきで魚スープを煮てる! 共同耕作の始りに何もすることがなかったって云うわけだろうか? 俺等のコンムー
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