て示されているなかにパンフョーロフの「貧農組合」がある。
「貧農組合」は一九三〇年のロシア共産党大会のとき「ラップ」の代表キルションによって報告された四十何篇かのプロレタリア作品として優秀なものの一つに数えられている。日本でも翻訳が内外社から出版された。これは、ヴォルガ河の沿岸にあるシロコイエ村の貧農たちが、荒れきったブルスキーという土地を貰ってそこで村の富農の侮蔑や陰険なずるさと戦いながら集団農場を組織する経路を書いた長篇である。上巻だけで日本訳は六百頁余もある。英訳もある。
トポーロフはこの長篇を十二回にわけて、農民たちに読んできかせた。十六人ばかりの農民が、この長篇小説に対してごく遠慮のないごく具体的な批評をやっている。
真先に口をきったのはザイツェフという男であった。
ザイツェフは、とって五十三歳の中農出のコンムーナ員だ。日露戦争へ出たことがあるし、ヨーロッパ大戦のときには独逸《ドイツ》の国境へやられた。革命前、既に上ジリンスキー村の宗教反対運動の指導者であった。農民の言葉での所謂「物しり」である。今はコンムーナ「五月の朝」の夜番をつとめ、なかなかの美術や文学ずきで、自分
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