な場合がないとは云えない。所謂専門家に対して押しがよわいところがある。農民はこの点ちがう。村の連中は、
「ふーむ」
とうなった。
「じゃ勝手に褒めさせとけ。でも、俺らゴーリキーはすきだがプリシヴィンはすかねえよ……」
 トポーロフは、ソヴェトの初等教育者というものはただ子供相手だけで納っているべきではないと考えるようになった。特に農村では大衆の文化初等教育が、広汎に要求されている。
 大衆の初等教育というのは、文盲打破にはじまって、彼等を楽しませながら教育する文学作品に対する活溌な受容力と批判力の養成を含むものではないであろうか。恐らく生れつき彼自身がひどく文学を愛しているに違いないトポーロフは、そこで、農民のための作品朗読会をもちはじめた。更にその批判を、ソヴェトの作家及出版者たちの参考にするために根気よく記録し整理しはじめた。
 トポーロフはボルシェヴィキ的耐久性で八年それをやった。
「五月の朝」の人々は、その八年の間にどんな文化的収穫を得たか?
 木綿更紗の布を三角に頭へかぶった婆さんが、ハイネを知っている。イプセンを知っている。モーパッサンをも読んで貰ったし、ロシアのものなら古
前へ 次へ
全121ページ中75ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング