ヴェトでさえもそうは見つからなかった。文学批評と云えば、術語が並んで、むずかしい文句で、小説ならばよめる労働者でも理屈の方はマアと後へまわすようなものが多い。
その上、批評の専門家はこれまで、農民の文学に対する理解力を認めなさすぎた。やっと文盲撲滅が行われて十一二年目のソヴェトの農民が、やさしい、啓蒙的な小説を欲しがるだろうということは知っているが、農民がシェークスピアでもわかり、またわかったらそれをなかなか独特の味いかたで深く噛みこなし、その理解や批評のしかたが、ソヴェトのプロレタリア文学発達のために一つの大切な参考となるだろうというようなことは考えなかったわけだ。(一九二九年から「ラップ」の作家が多勢文学ウダールニクをつくって農村へ出かけるようになった。これは確に、従来の欠点を補う有力な方法だ。が、それもまだ試みとしては新しく、まとまった農村からの批評集というものは出来ていない)
農民の側になって見ると、少し小説をよむような知識慾の盛な農民も、都会のインテリのように、新聞や雑誌に出る作品評をよんでから、その小説を読んで見るというような例はごく少い。大抵村のソヴェトに働いている者
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