の成長とともにやっと三十二ルーブリの月給を貰うようになったトポーロフが、何を目当てに余分な精力をつかい、八年間も、冬の夜、夏の夜を農民のために文学作品を読みつづけたのだろう。
 トポーロフ自身が農民の出だ。
 二十年間、農村の小学校で働いている。革命まで、農村の小学校教師がどんな惨めな生活をしたかということは、チェホフが生きていた時分、屡々公憤をもって人にも話し、書きもした通りである。ロシアの農村での文化活動というものは、ツァーの下では無視され、或るときには意識的に低下させられていた。まして、ロシアの農村で、文学的作品がどう理解されるかなどということは、問題ではなかった。フランス語を喋るロシア人は「農民の芸術に対する野蛮性」をテンからきめてかかっていた。
 十月革命は、社会制度の根本的な建て直しとともに、文学をロシアの労農大衆にとってこれまでとまるで違う関係においた。それにも拘らず、農村で文化活動に従事しているトポーロフから見れば、専門のソヴェト文学批評は、少くとも五ヵ年計画が着手されるまで一つの誤謬を犯していた。
 先ず、誰にでもわかって、しかも労働者農民的な文学批評というものは、ソ
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