て来る人々に向って、いつも一人の人間、つる[#「つる」に傍点]の曲った眼鏡の先生が、あきもせず、いろんな詩、小説、戯曲をよんできかせてやる。
 みんなは唸ったり、退屈だと無遠慮に欠伸《あくび》したり、時には亢奮して涙をこぼしたりしながら、読んで呉れる作品をきき幾晩かかかってすっかりそれが終ると、
「さアてネ」
と、てんでに印象を述べだす。他人はいない。コンムーナの者ばっかりだ。何遠慮すべえとめいめいのふだんつかっている言葉で、ふだんの心持から、実際の経験からわり出した標準で批評をする。八年前から、この不思議に熱烈なロシアの田舎教師は、そういう夜々の飾りないみんなの批評を書きつけはじめた。この粘りづよいソヴェトの田舎教師がトポーロフである。国内戦のときにトポーロフはパルチザンを組織し、コルチャック軍と闘った。「五月の朝」が出来るときには本気になってその組織のために働いた。そういう仕事がすむと教区学校以来二十年の経験をかさねた小学校教師として、コンムーナの文化向上を終身の職務としてやっている。
 はじめはたった十六ルーブリの月給で、それから十九ルーブリに、一九二七年にはコンムーナの生産経済
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