千キロメートル離れたシベリアのコシヒ・バルナウーリスキー地方に「五月の朝」という共産農場《コンムーナ》がある。そういう農場では、生産、利潤の分配すべてを共有に、共産主義的にやって行く農場経営の形だ。
そのコンムーナに小学校がある。数本の白樺と檜の樹にかこまれた丸太づくりの小さい学校だ。が、そこに一人の精力的な教師が働いている。一九一七年までその教師は近所の村の教区学校の教師をしていた。コンムーナが出来るとそこの学校で教えはじめた。ガッチリした四十がらみの男で、ツルの曲った粗末な眼鏡をかけ、時によると、校舎の外の草っ原へ机と腰かけをもち出し、コンムーナ員の誰かをつかまえ、何かをきいてはそれを紙きれに書きつけている姿が見える。「五月の朝」の人々は、だんだんそういう光景を見ることに馴れた。更に一つの、事実にも馴れた。それはコンムーナの一日の仕事が終ると、殆ど毎晩小さい丸太小舎の小学校で文学朗読会があるということだ。
工場の文学研究会みたいに、みんなが家で小説をよんで来て、意見を話し合うというのではない。七つ八つの子供から七十近い爺さん婆さんまで、
「そろそろまた本読みさ行くか」
と、やっ
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