な態度で、全露農民作家協会に対して来た。一九二五年の文学に関するテーゼは、その組織に対する支持と、農民に影響するために必要な農民文学の独特な形象を保護することなどを明言した。
成程、ロシアの農民は「十月」と村ソヴェトの成立と同時に、彼の草鞋(ラプチ)をぬぎすてはしなかった。密造酒をつくることも、仲介人《なこうど》が結納品のかけ合をやる婚礼もすぐには絶えなかった。
昔からの民謡を、ピオニェールも謡うだろう。「ステンカ・ラージンの岩」は伝説をもって、やっぱりヴォルガ河の崖にある。
農民作家たちは、いつの間にか、こういう細々した農村生活の外部的、或は内面の特別性を、固定したものとして扱い、過重評価しはじめた。
「ロシアの土」の偉大さを、社会主義社会建設のために、階級的方向にどう利用して行くべきかを作品の中で指示せず、逆に或る者は「ロシアの土の力」自体が、自然発生的に社会主義を決定するかのように考えた。
このことは、農業機械に対する農民の感情の解剖などにもよく現れた。
例えば、エセーニンは、所謂田園詩人らしい才能と欠点とを充分発揮して、短い生涯を終った詩人の一人であった。彼は、農村の
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