感じるだろう。その機械を支配して、働いている自分達の世界的な目的を感じるだろう。この『職場にて』のどこにそういうわれわれの感情があるかね?」
 ほんの短い期間だけ、或る工場なり集団農場なりへ出かける作家たちにとっては、自分の見学、材料蒐集をやるだけで殆どいっぱいだ。そこの大衆のために何かあとまでのこって役に立つような文化的助力を与えるということは、時間的に困難なばかりではない。作家たちはそこの大衆がもっている文化の発展過程を知っていない。よしんば工場委員会の文化部員や、工場新聞発行者たちに説明されたにしろ、急ごしらえに大衆の要求を発見し、それを現実にまとめて働きかけることはほとんど不可能事である。
 ではソヴェトのプロレタリア作家は、従来、そんなに生産場面と切りはなされて作家活動をやっていたかといえば決してそうではなかった。ラップの主な作家の一人、キルションについて見よう。
 キルションは、数年前有名な「レールは鳴る」という作品を書いた。或る汽罐車製造工場が労働者あがりの工場管理者によって管理されている。工場の技師、関係トラストの支配人、古参な職長一味が何とかして、ソヴェト権力の認めた
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