般にとって、諷刺的手法が正しい効果をもつ場合は、諷刺そのものがただ題材の或る矛盾面の抉出だけに終らず、積極的な建設的な教唆、暗示、明示等を含んでいる時に限られる。プロレタリア芸術の諷刺とブルジョア芸術の諷刺との相違は明かに此処にある。
 ブルジョア漫画家も失業でやけになって酔っ払った労働者の酔態を描くだろう。ブルジョア漫画家は丁度ブルジョア政治家がそうである通り、それをそれとして現象的に描写する。諷刺したという自己満足に止っている。失業でやけになって酔っ払った労働者は、酔っ払わずに、本当はどうすべきであったかという方面、階級全体としての闘争へ向って突き動すような努力は漫画のどこにもされない。
 プロレタリア漫画家だけが、それをやるのだ。またやらなければならない。ソヴェト同盟の漫画家たちの苦心はここにある。社会主義的生産の意味を理解せず懶ける労働者も、ソヴェト同盟の階級的自己批判として描かれなければならない。然し、画板一杯に懶けている労働者だけ精出して描写したってそれは弁証法的でもなければ、従ってプロレタリア的でもない。その漫画を見たものが積極的な側を、理解するように扱われなければならな
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