れている。劇中劇などと逃げを打って、イヤに比喩めかして、あり得べからざる安易さで革命をこねあげて見せている。
 科白《せりふ》では、ソヴェト赤紫島万歳! と呼ぶ。だが、その「万歳」は本気にうけとれない。君等の考えている革命[#「革命」に「××」の注記、底本の親本「河出書房 宮本百合子全集」で伏字を起こした個所]なんてのはこんなところだろう、と云われているような工合だ。そう考えると「赤紫島」という題も妙にこっている。
 だって、赤は、赤でいい。われわれに分る意味においての赤だ。然し、紫というのは何だろう? ヨーロッパの伝統的な色の言葉で権威、王位、威厳、信仰を意味する。ナポレオンが帝位につくとき背中にひきずった裳は紫ではなかったか。現在でも紫という色は、同じような意味をもっている。「赤紫島」というのを別な表現で書くと「赤の信仰ででっち上げられた島」または「赤が王の島」となりかねない。
 ソヴェト同盟の大衆にとって、こういう種類の諷刺が、ほんとの諷刺としてうけとれず、そこにブルガーコフの傍観主義や底意地のわるい嘲弄を感じたのは、むしろ自然であった。
 大体、文学をこめてのプロレタリア芸術一
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