いのだ。
 文学における諷刺も同様なのは云うをまたない。諷刺が諷刺で自己満足してその基礎が「赤紫島」におけるように間違った理解の上に立てられている時、どっちから見たって、正当な意味で、プロレタリアの諷刺でないのは知れている。つまりブルガーコフは才能はあるけれどもソヴェト同盟の社会主義社会の建設と世界の労働階級解放運動に対して同情的でない態度をもつものだということを否めない。
 上演目録詮衡委員会は、一つの自己批判の表現としてこの戯曲の上演を許可したが、ソヴェト同盟の勤労大衆はだまっていなくなった。カーメルヌイ劇場は一月余上演して「赤紫島」はひっこめた。
 一九三〇年の秋から帝国主義国のファッショ化に対しソヴェト演劇上の帝国主義侵略戦争反対、宗教排撃の主題は目立ってふえた。だが、諷刺的に扱うにしろこの点に深い注意を払われている。世界の帝国主義者、ファシストの組織、侵略戦争をあばきっぱなしでは足りない。
 ソヴェト同盟及世界の勤労大衆はそれに対して何を支持し守らねばならないのか。「ソヴェト同盟、ソヴェト中国を守れ!」強く、全面的にこの大切な点が会得されなければ甲斐がない。芸術的効果をそこま
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