の霊に捧げようと思う」と語り、里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]は、「その死がなんのためだかわからないが、『沖』という小説を近く発表する」と各自、事件につながる自作予告をした。
センセーショナリズムは、内剛外屈の吉田内閣が民主化すてながしの一九四九年度筋書として極端にまで使用した方法でもあった。政治と文化とを一貫して、世相を押しきったこのような潮流は、一九四九年度の毎日文化賞の準備調査、読売新聞社の良書ベスト・テンの調査などで、諸々批判のおこっている永井ものがトップをしめ、「宮本武蔵」や「親鸞」「風とともに去りぬ」「細雪」「流れる星は生きている」などが多くの票を占めるという結果をもたらした。毎日文化賞の準備調査では、文学の部で「親鸞」がトップであったが、詮衡委員会は「中島敦全集」をおした。
ところで、注目されることは、いわゆる風俗文学の作者たち、中間小説と称するよみものがかけないものは文学上の半人足であるとするような作家たち自身が、他の半面では、いわゆる純文学とよばれて来た本当の文学[#「本当の文学」に傍点]に恋着を示している点である。これらの作家たちは、月評や文学談
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