おし出し(プロレタリア文学の伝統を発展的にうけ入れること)、同時にその連関をもって具体的に現代文学の全野にふくまれているより大きい社会性への可能を、それぞれの道の上に安心して花咲かせるために協力するというよろこばしい活力を発揮し得なかった。
一九四七年以後は、総体として日本の民主革命の目標の不明瞭さはそのままで、一方から民主主義文学は即ち労働者・勤労者の経済・政治闘争に利用されるものでなければならないという一面に傾いた見解がつよくおこった。ある種の文化・文学活動家たちがこの見解の支援のためにうごかされたことも、職場の文学サークルの分裂がある意味ではそこからひき出されたことも、この数年間民主主義文学運動にたずさわって来ていた人が公平にかえりみるならば、すべて理解するとおりである。
ジャーナリズムにはあらわれることのなかったこの期間の努力で、民主的文学の基本的理解の転覆は防がれたのであった。昨年の新日本文学会第五回大会で行われた窪川鶴次郎の報告「批評の任務」は、少くともそのようないきさつを経た上での報告であった。同時に、この第五回大会は、民主的作品をこめる現代文学の創作に関しての報告を
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