矛盾は何と見られたらいいのだろうか。科学の研究は、その方法において個人の才能の発揮さえも集積的な経過をとる。文学の作品がうまれる過程は、どんなに社会的であるにしろ個人的である。(佐多稲子が「わたしたちの文学」で云っているとおり創作の過程、手つづきとしてはそうである)。だが、文学は、遂にはそこにとどまらないで社会的なものとして実在しつづける。古典文学が歴史に耐えて生きつづけている秘密はここにある。そのように、文学はどんなに社会的であっても個人としての過程を通過してでなくては生れず、社会的なものとして実在することもあり得ない本質であるからこそ、現代文学に求められている社会性の課題の困難は複雑なのである。
これは、文壇的な経歴の中にある作家ばかりが感じている困難ではない。民主的な文学の領野にも深刻にあらわれている。民主的な評論活動の任務は、そのどちらの困難も具体的にとりあげて、民主的方向の独自性に立ちながら、現代文学の全般に見られる社会認識、あるいは社会観と文学の方法との分裂から、作家を救い出すことにある。現代史のふたまた[#「ふたまた」に傍点]にかかってひき裂かれるにまかせておいたり、さ
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