うに発展させることができただろう。新しい現実にふさわしくしなやかで、機能の高い関節をどんなにふやすことができただろうか。まけおしみぬきで、事実を事実として見るならば、民主的文学運動におけるこの地点には、思いのほかの地すべりがある。
 太宰治の死に際して、受動的な形であらわれた民主的批評の実質についての危機は、つづいて一昨年の初夏、多くの文学者が、反ファシズムと戦争反対の要求にたって民主的陣営との統一的な動きにすすんで来てから、今日にまでの民主的批評家の活動にあらわれている。
 こんにちファシズムに反対し、世界平和を求め、原子兵器使用の惨虐に抗議している文学者は、その数において、科学者よりも少いとは考えられない。これらの文学者は、それぞれ日本と世界平和とすべての民族の独立のためのアッピールに署名しているし、ふさわしいと考えられる団体に加わってもいる。けれども、文学者として、創作されつつある文学的成果が、同じひとの社会的行為としての平和運動への参加などと、まるでかけはなれたものであるとしたらどうだろう。場合によっては、彼の署名そのものを否定しているような客観性をもつ作品であるとしたら、その
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