ないから、という時、おのずから前の場合とちがう感情を刺戟されるならわしです。しかし、これはどういう理由によるのでしょう。はたして自然なことなのでしょうか。
 今日の社会では、職業的ということと金儲けが眼目ということはほとんど同義語に印象される習慣です。生存競争が全く個人主義的に行われているから、職業的というとき、ひとよりちょっとでも分をよく立ちまわるということがすぐピンと来るような憐れむべき事情におかれているのです。職業的にやっていると聞いて、はじめてそのひとの技術なり責任感なりが安心して感じられるようにならなければ間違いなのではないでしょうか。
 婦人車掌が結婚するとやめさせられる。そのことに彼女たちが反対の意見を表していることは周知の通りです。こういう女の職業についての奇妙な不公平も、要するに過去の久しい間、女の職業というものについて女として求める確乎性が社会的に認められていなかったからです。女自身、ましてインテリゲンツィアの女のひとが、とかく抽象的に自己完成のための仕事[#「仕事」に傍点]を偏重して、それを正々堂々と職業として、それ相当な社会的評価を求めようとしなかった傾向はふる
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