も生活に困らない教養のある若い女のひとがいろいろの仕事に従事するようになって来ました。けれども、その根柢においては、真に女の生活の社会的条件が高まったとはいえない例が多い。月給で自分が食べたり、家庭を扶助したりしている女はとかくうるさい、月給なんかなしでも何か仕事をしたいという娘がこの頃は相当沢山いる、そういう女でもさがそうじゃないか。そういう言葉が平然といわれている状態です。若い女のひとの興味趣味などに沿うて、雑誌の編輯員の中には、今日一人や二人きっとこういう種類の若い女の技術志願兵、実は女の労働力・才能・教養を社会的にダンピングしている人がいるのです。
 それらの若い女の人たちはもちろん微塵の悪意もないのです。これまでの家庭生活が若い女に加えている窮屈な常套をはねのけて、生活的によりひろい社会との接触の中に生きたいという欲望から、また、仕事そのものに興味があるということから、無邪気にこの社会の機構が思いつかせる悪計に利用されているのです。
 職業的[#「職業的」に傍点]という言葉は、現在の社会では私たちの感情に何か特別な響きを与えます。反対に、あああのひとは職業的にやっているのでは
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