でも女の教養というものが飾りとして、嫁入道具としてだけ与えられていた結果、いざ本当にそれで食わなければならないとなったときに、知っていたはずのフランス語もピアノも絵も、生活の役に立たないことが証明されて、悲劇的にその命をを終る美しく潔白な女の一生を描いて心を打つものをもっている。現在それで食わないにしろ職業としてやってゆけるだけの実力があるということこそ、ある仕事をもつことで女に心と生活のよりどころを与える必須条件だと思わずにはいられません。そして、それを職業としてゆくからこそ、道楽では踏み切れないところをも踏み切って、自分の技術をも発展させてゆくのではないでしょうか。社会的な責任の自覚やある意味で仕事の上での闘志も強靭にされてゆくのではないでしょうか。よく世間で、なかなかやるが結局お嬢さん芸でね、奥さん芸でね、という批評を、殿様芸に並べていうのは、ここのところの機微にふれていると思います。
では、お嬢さん芸でない技術、奥さん芸でない技術をそれぞれの仕事において女がつけて行くことが、今日の社会の事情ではたして楽なことでしょうか。私はこの答えは決して容易でないと思います。この頃は日本で
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