前から虚飾なく統一されている。
 あのひと、このひと、と実際の場合について考えて見ると、仕事らしい仕事をしている女のひとは、結局みなそれぞれの技術で、万一のときは十分やって行けるところまで達している、つまり玄人であるということに気付くのです。
 私は、ここに人間の本然的な社会性と仕事の現実性の面白いところが潜んでいると思います。仕事というにあたいするだけの仕事はこの社会の現実の中で決して超人間的、超社会的関係にはあり得ない。人間と人間との相互的ないきさつの間からこそ、仕事は生じるのであると見られます。仕事というのは、あるひとの生活意欲の社会的価値への転化具体化であるのではないでしょうか。人に見せるためではない。人に聞いたり、読んだりして貰う為ではない。本当に私一人の慰みのためにという表現で女のひとが、自分の余技、仕事を語る。特に日本ではそれが一つの謙譲なたしなみのようにさえ見られて来た習慣があるけれども、そういう慣習こそ、わるい意味で女の仕事を中途半端なものにしてしまっていると思います。ポーランドの代表的な婦人作家エリイザ・オルゼシュコの「寡婦マルタ」という小説は、ヨーロッパの文化の間
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