の様式で最高の能率をあげ得るのだろうか。同時に、都会の工場が、何故こうも平和産業に転換することがのろいのであろう。これ迄は変則なインフレ景気で工員たちも遊んで暮せる金があったかもしれないが、現在、人々は遊んで餓えたいか、真面目に働いて安心して食いたいか、二つに一つの答えに迫られて来ていると思う。東京に六十万の失業者があって、その人々は闇商売の面白さに求職していないと報じられている。しかし、人民の購買力は、無限ではない。刻々買いかねる方向を辿っている。腕をもっている人たち、働けば拵えられる人々が、坐って飢えるのを待っているだろうとは思われない。拵えたものが農村で入用だのに、その代りとして農産物を出したくないという非常識なものがあろうとも思えない。では、その二つの極を、どういう仕組みで繋いだら、一番総ての人の満足に近づくことが出来るだろうか。そういう風に考えを展開させてゆくことは、人間が、社会生活の裡に生き、互の協働によって生活を保って来た歴史的な習慣から、ごく自然な当り前な道である。そして、食物の問題についてもそういう風に考えてゆくことが、日本の婦人にだけは出来ないのだと、誰が信じ得よう
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