も見られるのである。この一事をみても、私たちは、全く自然で正しい政治というものの理解の、つい扉の外にまで迫って来ている。過去の「政治」には目をくれたくない程、生活の実情によって前進させられているのだから、その感情の奥底にある一つの太い流れ、「何から何までどうせ自分たちでやって行かなければならないのだから」という思いを、屈托した不平の呟きとせずこの際、それを条理をもって整理して見てはどうだろう。それが必然だからこそ、自分たちでやって行くに適当した社会的な方法を見出さなければならないという一歩の前進がそんなに不可能なことであろうか。
食物の問題をひとまかせで暮している一軒の家もない。それが実際である。少しまかせて頼ってみたらば、忽ち東京では甘藷一貫目が五円五十銭となってしまった。
自分たちでやっている以上、そういう人々が相談して、最も合理的な方法、村と都会との間の生活必需品の交換として、農村生産物と工業生産物との交流を、組織的に円滑にゆくようにしたらば、どうだろうかと考えてみる。すると、その一つが環となって、夥しい問題が私たちの眼前に浮び上って来るのである。日本の農村の生産は現在のまま
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