。日本婦人は、辛苦の負いてとして、永い社会の歴史の間につよさを誇って来た。その、「やりくり」に通暁した配慮を、少しひろげ、更にも少し広くして、自分たちの国としての「やりくり」にも智慧と良心とを発揮することが、どうして出来ないと云えるだろう。
 政治という言葉を、本来の生き生きとした人間の言葉に云い直すと、それは、社会のきりまわし法という表現になる。一家を、男ばかりできりまわせるものならば、妻を喪った男やもめに、蛆が湧くという川柳は出来なかった筈であると思う。
 婦人が、天成の直観で、不具な形に出来上って人民の重荷であった過去の日本の「政治」に、自分たちをあてはめかねているのは、面白いことだと思う。婦人の責任は、身に合いかねる過去の社会きりまわしの形を、娘として、妻として、母としての自分たちの柔かい力のこもった肉体の勢で、器用に綻《ほころ》ばし、程よく直してゆくところに在る。よりよく生きてゆこうとする人間の最も貴重な希望が肯定されたとき、その実現のために自分から動き出そうと思わないほど無気力な男も女もない。この頃の日本の交通機関のおそろしい混乱と、そこで敢闘する婦人たちの姿をみたとき、こ
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