の人達のまだ布で云えば白地の子供の時代の育まれ様によると云う事が出来ます。
そして最も大切なのはその読み物だと云う事も出来ます。
外国はどうだか知りませんけど日本で小供に対しての読物の注意と云う事は先まであんまり重じられていませんでした。
十一二の子供は必して、カチカチ山、桃太郎 の御話に満足するもんでもなく、「フーン」と思うものだってありません。
絶えず新らしい事を知り又聞く事も若いものにとっては大切な事でその事に対する欲も劇しいもんです。
その人々に多く読まれる少女小説を改革すると云う事は今のだれでもが考える事に違いありません。
どうしたって今の様な涙っぽい物語りはやめなければなりません。
希臘《ギリシャ》神話的なそして又その中の人物の感情をさっぱりと単純にしたものを入れていいんです。
多くの婦人は一人前になってからは大部分せわしい、現実の不愛嬌な顔ばかりを見て暮さなければならない様に生れついて居ます。
せわしい中にも苦しい中にもどっかしらんにのびやかに奇麗な心のある様にするのには、何でも彼んでもを吸取紙の様に吸うその頃の頭の中におぼろげにでも奇麗な感情をつぎ注い
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