現今の少女小説について
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)実《み》

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(例)批評とか反向[#「向」に「ママ」の注記]とか
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 今行われる少女小説について私は自分の荷にあまるほどいろいろの事を考えさせられるんです。
 一寸行きずりに本屋の店をのぞいても飾ってある少女小説の数はほんとうに沢山でそれで又何故だか、「何子の涙」だとか、「何この歎」だのって云うのばかりですねえ。
 少女小説って名のつくのは皆、涙だの、歎だのって云うんでなければいけないきまりが有るんでしょうか。
 私はどう云うものかと思ってその沢山の中の二三冊読んで見ました。
 それでどう云うものだか、と云う事を知りました。
 私の読んだのは、どれもどれもみじめな可哀そうな娘を中心にして暗い、悲惨な、憎しみだの、そねみだの、病や又は死、と云うものをくっつけてありました。
 それを読みながら、私でさえ淋しい気持になりました。又そうなる様に書いてあるんです。
 まあ少女小説を読もうと云うのはどうしても十二三頃からいつまでも子供っぽい人
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