は十七八まで面白がって読むらしゅうござんす。
そうすれば何でも物事に感じやすい極く極くセンチメンタルになる頂上を少女小説は通って行くんです。
十五六から二十近くまでの娘の心と云うものはまるで張りきった絃の様にささやかな物にふれられてもすぐ響き、微風にさえ空鳴りがするほどで、涙もろい、思いやりの深い心を持って居るんです。
この時代になれば、どんな幸福な家にある娘でも、何とはなし悲しい事ばかり考える様にもなります。
わけもなくて世の中がいやになる、そんなのもこの時分なんです。
注意深い母親はそう云う時代の娘を必してだまってわきから見ては居ません。
なるたけ愉快な仕事をあずけるとか又は自分のそばに置いていろいろな事をしゃべるとか、当人のこのんで居る事に力をそえてやるとかします。
けれ共そう云う母親はあんまりあるもんじゃあありません。
だまって本でも見て居れば安心して居ます。
斯う云う心理状態にある娘はきっと哀れっぽい涙ばっかり流さなければならない様な物語りばっかりすいて読むんです。
そしてまるで自分をその物語りの中に投げ込んで思うままに涙を流す事を楽しむんです。
けれ共
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