そう云う事を私はいけないと思います。
若い娘の心に同情を呼び起させるためにはいい結果があるかもしれません。
けれ共同情を起させると云う事よりも倍も倍も悪い事が起ると云う事を考えなければなりません。
現在の文学者としてかなり名のある方で少女小説に筆を染めていらっしゃる方はまあ別として名もない人々の世に出す少女小説の文を読んだ少し心ある人は、どう思うでしょう。
いかにも奇麗な文章には違いありません。
そして又いかにも可哀そうらしく書いてあります。
けれ共ほんとうに「実《み》」のある、重味のある文章か何かと云えば――
間違って居るかも知れませんが、「さあ」と云って頭をかしげなければならないんです。
頭の単純な娘達はそんな事を思ういと間もなく只そのこけおどしの利く字のならべかたに気をうばわれてしまって自分でもその文をうのみにした様なものを書き出したり「大きくなったら」なんかととんでもない文学者を気取るものも出来て来ます。
三つ子が百度も聞いた桃太郎の話をあきもしないで、いくどでもきく様な気持の人達はあきもしないで同じ様な事を書いたのをよみます。
そして又いかにもその人達にと
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