は貰えぬため、先ず自活の道を講じたという、経済的な理由の上に立つ文学修業の第一頁が、云わず語らずのうちにこの一人の婦人作家の行く手を、新たな文学、徒食階級のものではない、勤労する大衆の文学、広汎な意味でのプロレタリア文学の領域の中に現実として決定しているわけではないのであろうか。
これらの事情を一婦人作家として誇るべき新たな時代性としてしっかり身につけることを知らないで今日まで経て来た作者藤木氏の文学修業には、恐るべき浪費があったように思われるのである。
いろいろの職業を経て今日はその学歴にもかかわらず家政婦の働きをも厭わずやっている作者は、そのような変転にもめげず自分が作家としての追求をつづけているという点からだけ、職業における自身の推移を眺めていられるのではなかろうか。
一人の女としての自分を、作家としての立場から客観的に観る場合些か現実を照す光りの色は異って来るであろうと思われる。そのような主観をもって生きている婦人が、一つの職業を中途ですてて又次の職業へと転々するうち、いつか、その傍から見れば持続性なくも見える経歴や年齢の関係により、益々失業率が増大し労働条件が悪化する社
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