としての微妙な仕うちというようなものは、農村という社会的な背景をもつ今日の文学の内容として取り上げて見るに価値ないものであろうか?
 図書館に勤めるようになった一人の若い作家志望の女が、その一見知識的らしい職業が、内実は無味乾燥で全く機械的な資本主義社会の経営事務であることを経験し、そこの官僚的運転の中で数多い若い男女の人間が血の気を失い、精神の弾力を失ってゆくのを目撃し、そのような働きと自分の人間らしい希望との間に激しい矛盾を感じて苦しむということは果してその女一人だけの感じるつまらない個人的な苦痛であろうか。現在われわれの棲んでいる世界には、自分の働きで生きてゆかねばならぬ女が何億人かあって、その苦痛こそは全く世界人口の半数を占める女の共通な苦痛の呻きではないであろうか。そのような人間として女としての苦痛の声は、文学に描かれるにふさわしくないものであろうか。
「白道」の作者は、抽象化された書かなければならないという憑物に目かくしをされて、自身既に自活しなければならない女としての二つの足で踏み入った文学の素材としての生活の宝の山を自覚しないで過ってしまったかのようである。
 作者は、
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