が政権をとったらどういう世の中になるかということを話されるのを、大衆が職場から団体で押しかけてでも来て聴けるとしたらどんなでしょう! また、この眼で凋びた顔をして可笑しげな帽子をのせているブルジョア裁判官と、雄々しくプロレタリアの幸福のために闘う闘士たちの姿とを比べて見たとき、われわれの心に湧くのはどんな力でしょう! いろんな新聞は、宮城裁判長が大変偉そうに書いているが、それは事実でないということが暫く公判をきいていると私でさえ分りました。何と云うか、てんで相手ではないんです。高岡只一がモスコーで支那人かと思われた。と云うといろいろ為になる陳述の間は質問一つせず静まりかえっていた宮城裁判長が、例の鼻にかかった声で「ヨーロッパで日本人が支那人に間違えられるのは珍しいこっちゃない。どこででもそうだ」とやっと半畳を入れます。すると高岡只一はすぐ「そうだそうですね。しかしモスコーで、労働者が支那人かときくのは、他のブルジョア国でのように軽蔑してきくのではない。支那革命に対してそれだけソヴェト同盟の大衆が注意を払い支持しているということの証拠である」と、はっきり大衆の立場から、裁判長の半畳を訂正
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