して見る事は、即ち持[#「持」に「ママ」の注記]つならば或る欠点や、羈絆《きはん》から脱して、よりよい次の一歩を踏出す事に成るのではないだろうか。
自分はそれを詰らない事だとも、恥しい事だとも思わない。人類は、よき母、よき妻と共に、よき有難い芸術家をも、女性の中に待っているのではないだろうか。
種々な点から反省して見て、自分には、今日女性が作家としてまだ完全に近い発達を遂げていないのは、箇性の芸術的天分と、過去の文化的欠陥が遺伝的に女性の魂そのものに与えた、深い悲しむべき影響との間に起る、微細な、然し力強い矛盾に原因しているように思われる。
近代の文化は解放された人としての女性に、箇性の尊重と、人格完成の願望とを自覚させた。無論は[#「は」に「ママ」の注記]、女性が昔の偏狭な、恥辱的な性的差別に支配、圧迫された生活から脱して、一箇の尊敬すべき独立的人格者として生活すべき事を他人《ひと》にも我にも承認させた。
人として更《あら》たまった、身も震うような新鮮な意気と熱情とを以て人として生き抜こう為に、箇性の命ずる方向に進展して行こうとする女性の希望と理想とは、真実に深く激しいもので
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