なつかしいその節をきくと、ぞっと身中にさむけが走るように感動した。彼女は蝋燭の煌《かがや》きの反射する、香の薫りのうっすり立ち罩《こ》めた腰架の上で、低く頭を下げた。
 うっとりとして聴き入っていると、ルイザには、次第にフランツの声ばかりが聞えて来た。たっぷりした響の美しい彼の声が、真心をこめて幅ひろく流れ下りまた高まるに従って、他の入り混った幾つもの声が、優しく一つ低音に漂ったり心も躍るように晴々高い声で顫えたりする。
 ルイザは、それまで一度もフランツが本気で歌うのを聞いたことはなかった。何という立派な声を持っていたのだろう。
 ルイザは上気《のぼ》せた顔を挙げ、讚歎でうるんだ眼をフランツに向けた。刹那に、彼女の相好が変った。彼女は、何ともいえない顔をして、無意識に傍にいる夫のハンスの方に片手を伸した。
「フランツ、フランツ――あれが、フランツ? あの神々しい――……」
 ルイザは、瞳をつき出し、微に口をあけ、打たれたようにフランツを視た。
 ああ、まさか、彼方の聖画の命が入って、少年イエスが代って立っているのではあるまい!
 我を忘れて唱うことに身も心も打ち込んでいるフランツの顔
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