、一寸よって来てやった」
彼は、卓子の前に腰を掛けた。そして少しの間ばつの悪そうに剛い髭を指先で撫でていたが、やがてフランツに云い始めた。
「今夜は滅法好い声で唱ったな」
彼は衣嚢をさぐり、一挺の小刀をとり出した。
「ほら、今日の祝いだ。失くさないようにしろ」
フランツは嬉しそうににこにこした。
「ほう! 両刃だね」
ルイザは、卓子の彼方側から、熱心に父子を見守った。ハンスが妙に口を利き難そうにし、何か心に考えを持っていることが彼女によく分った。フランツがすっかり満足し、刃をすかしたり、彫りの模様を検べたりする様子を見ていたハンスは、更に細長い棒のように巻いたものをとり出した。
「これもまあ記念の積りだ。――机の傍の壁にかけられる大きさだと思うが。開けて見ないか」
フランツは、ナイフを置いて、結びめを解いた。そしてくるくると少し内側を拡げると、彼は感歎の声をあげた。
「ほほう! これ! まるでいいや」
フランツは、手一杯に拡げたものをルイザの方に向けた。一目見て彼女は息が窒《つま》りそうになった。それは聖画、しかも先刻会堂で、彼女が、その中の基督がフランツか、フランツがその
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