驚くべき事実を彼に囁き聞かせたのであった。
 ハンスの、重い口は、思いがけないことでまるで働きを失ったように見えた。彼は、
「ふうむ」と牡牛のように唸った。
 黙って考に沈み、凍った夜道で一度二度足を辷らせながら、夫婦は家に着いた。ルイザは、鍵を廻して入口の扉をあけた。
「お入りな」
 ハンスは、戸口に立ち止って、何か考えながら獣皮帽を手の平で額の後にずらせた。
「いや――俺はフェリクスの店まで行って来ずばなるまい」
 ハンスは、また帽子をかぶりなおして出て行った。わくわくしているルイザには、ハンスが帰って来るまでに、どの位時が経ったのかまるで解らなかった。
 表の方に跫音がしてハンスと一緒に思いがけずフランツが奥の小部屋に入って来るのを見ると、ルイザは、驚きの叫びをあげて立ち上った。彼女は何か云いながらフランツにかけ寄ろうとした。が、ぴたりと止り、両手を握り合わせ、殆ど畏怖の現れた眼でフランツを見た。彼はもう白い寛衣は着ていなかった。けれども、これほどありありわかる俤を、何故今夜まで見わけられなかったのだろう。
 ハンスは、帽子と厚い外套とを釘にかけた。
「連れがなかろうと思ったんで
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