へよってよく見ると案外にわかりやすい幾つかの土台の上に組立てられている。一つは、「僕は中途半端に生活し、中途半端にしか考えて来ませんでした」「若し生活の一片毎に誠実であろうとしたならば、僕は命を百持っていても足りなかったでしょう」「意味は八方へ拡り、すべてのものにつながっていて考えればみな締めくくりがつかなくなる」「それらの責苦に私は耐えることが出来そうもない」ほどに感じられるそれを自己の感性の鋭さと意識されている観念である。この観念と並立していて、私という人物がこれまで中途半端にしか生活もせず考えもせずに暮して来たという自嘲自責で身をよじっているとき、内心その姿に手をかけてなぐさめてとなり、合理づける囁きとして存在している、もう一つの観念がある。
 それは、あらゆる時期や場合を通じて中途半端めいた外見を自身の生活態度にあたえて来た真の動機は、私という人物が「無感動なのではない。」「人が泣くよりもっと悲しいことがどこかにあるのだ。人が私をやさしくいたわってくれるよりももっと美しい言葉が何処かにある。私はそれのために自分の心をとっておきたいのだった」「私は最上のものを、かりそめのものとし
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