をつくりあげているのである。
この作品を、心理主義の描写という批評の言葉も見かけるし、また、現代の知識人の苦しみを最高の形で表現している作品であるという紹介などもあるようだけれども、そういう謂わば既成の専門風なものの云いかたからはなれて、この作品をごくありのままの生活とその生活に生きてゆく今日の感情の自然な関係のうちにおいて眺めた場合、読者の大部分はどんな感想をもつであろう。
それはきっと、ひとくちに云えない感情だろうと思われる。ひとくちには云えないが、何か云いたいものがのこされる、そういう心持のする小説ではないだろうか。そして、ざっくばらんに云えば、そこがこの作者の云わば狙いどころとしての成功であり、作品のひとくせあるところでもあるのではなかろうか。作者の中には、こういうシステム[#「システム」に傍点]をもつひともあるものである。別な例だが、横光利一という作家のシステムも、わかるようでわからなく、だがあけすけに分らないと云わせないような同時代人の或る神経にひっかかりをつけてゆく技術で、妙にはたから勿体をつけて見られた作家の一人であった。
伊藤整氏の場合、幽鬼の街と村とは、そば
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング