観念性と抒情性
――伊藤整氏『街と村』について――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あるがままの姿[#「あるがままの姿」に傍点]は
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あるがままの姿[#「あるがままの姿」に傍点]は決して心理でもなければ諷刺でもない
伊藤整氏の近著『街と村』という小説集は、おなじ街や村と云っても、作者にとってはただの街や村の姿ではなく、それぞれに幽鬼の街、幽鬼の村である。これまでの自身の中途半端な人生のくらしかたが、その街においてもその村においても、いろいろの思い出とそこに登場して来る人物すべてを作者にとって幽鬼としてしまっている。その幽鬼たちが彼という存在との接触においてかつての現実の事情の中に完成されなかったいきさつを妄執として彷徨し、私という一人物はそれらのまぼろしの幽鬼に追いまくられて遂には鴎と化しつつ、自嘲に身をよじる。それを、作者は小説のなかでもくりかえし云われているとおりな自身の情緒のシステムにしたがって組立て、芸術の美感とは畢竟描かれた世界の中にあるという立てまえによって、一箇の幻想世界
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