か見なかった」
と、自分のロマンティックなものを評価している観念であり、一方、日々生きてゆく上からは「世間というものが君の理想の実現を助けてやろうとして存在しているものじゃない」ことをも知り、「その理想をより完全に思うような形で実現したかったから」「普通の人間と同じような莫迦らしさと汚れとのついた人間になって見せなければならなかった」「世間は今までそこに生きていたのと全く同じような中庸な、特色も理想も圭角も持っていない人間にしか生きる道を与えないのだ」と、いずれかと云えばありふれすぎる市民の感情で世間とは受け身に対している。
幽鬼の「街と村」とは、後篇の抒情性そのものさえごく観念的にまとめあげられている作品であるから、その作品の世界のなかでいくつかの断崖をなしている観念の矛盾はおのずからくっきりと読者の目にも映じ、作者自身がよそめに明らかなその矛盾を知ろうとしないので、まるでそれが生きる自己目的であるかのようにあの崖を顛落したりこの崖をよじったりしつついる有様には、一種の困惑を覚えさせられる。それが、この作品の後味としてひとくちに云えない感じをのこす所以であろうと思う。
社会と思
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