を肩にひっかけていろんなものをうれしくばかり見て暮して居たその時代が、とびつきたいほどなつかしく思われた。「あの時代は私一人の封じた壺をまだあけなかった時だった」小さい声で云ってきかせるようにさとす様にささやいた。「十八の時――十八の時」こうした言葉が悲しい調子を作って体中をとびまわって居る。ジイッと耳をかたむけると心臓の鼓動までそんな調子にうって居る様な気がしはじめる。
「何んだいくじなし、パンドールの壺にはまだ一つ幸にのこって居るものがあるじゃあないか」
斯う云うと自分で自分を馬鹿にしたような高笑をした。そうしてその笑い声がパッと消えてしまうと前にもました淋しさがまわりからヒシヒシとまるで潮のよせる様によせて来て自分のこの小っぽけな体をひっさあらっていってしまいそうにする。「何んだい、何んだい」にがいかおをしながら机にしっかりよっかかった。けれどもともすればこの形のない力づよいものは、再びうき上られない深いところへ巻いてきそうにする。ジッとして居られない様になってこれまでに一番自分の気に入った絵の絹地の下にかばってもらう様に座った。はれやかな舞子の友禅の袂の下にはあんな力づよいものもよせて来られないと見えて気は段々かるく力が出て来た。哀れなみなし子がその救主を見上げる様なオロオロしたはずかしそうな目つきをして、若々しいまるい顔にこぼれる様なほほ笑みをうかべてウットリと見入って居る舞子の姿を見上げた。とろける様なうれしい気持になって一人手に、こわばった様になった口元がほどけてまるで若い娘がする様にうなだれて畳の目を見ながら肩を小さくふるわしてクスクス云って居た。その様子をヒョッと想像するとたまらないほどおかしくなって、今度はわだかまりのないカラッとあけっぱなしの気持で笑った。
「妙な奴だ」と思いながら、二階のユサユサするほど足に力を入れて歩き出した。下でおっかさんが「何だネエ、だだっこ見たいに、ねだがぬけちゃうワ」こんな事をいって居るのを小耳にはさんでクスリと肩を一ゆすりしてきりぬきのゴッチャゴチャになげ込んである襖のない戸棚の前に丸くなって座った。かたそうかとも思うけれ共めんどうくさくもあるし、と思って何か気に入ったのはあるまいかと思ってしわクチャになるのもかまわずあさったけどどうしても手ばなしたくない様なのが見あたらない、「いやんなっちゃあうなア」何ともなしにこんな事を云ってしまった。机のところにまたもどって、あの人がもってきて呉れた狸ばやしと胡蝶の曲を読み始める。この本とひっかえにもってった三味線掘りの手ざわりのいい表装がフイに見たくなったがマアマアとあきらめる。こんな退屈などうにもこうにもしようのない様な日に、あの人が来ればいいのにと思い出すともうきりがなくいろんな事が頭にうかんで来て、本の字なんか黒蟻の行列を見る様になってしまう。彼の人の気まぐれにもほんとうにあいそがつきる様だ。こないだは二日つづけて来たかと思うともう三週間位しらんかおをして居るし、ニコニコして居る時と馬鹿にムキムキした時とあるし――それでもマア私の思ってる事を大抵分って呉れるからいいけれども、こないだ着て居た着物の色と頭のうしろっつきがよかったっけが、今度はどんな風で来るんかしら、妙に着物の変るのがたのしみなもんだ。
そうそうこないだ来た時に、エエようござんすともなんかってぞうさなくうけあって行った着物はほんとうにもって来て呉れる気なのかしらん、若しもって来たら私のあのソフトをかぶせてマントをはおらせて男にばけさせて見ようかしら。でも何だか又理屈をこねそうでもあるけれ共……。それからバックに縫をするから下絵を書いて呉れなんかと云って居たっけがどんなのがいいんかしら、それはマア、ものが来てからのはなしと……、この次までに綿人形とくくり猿を作って来て呉れる約束がしてある――
こんなにデコデコに□[#「□」に「(一字不明)」の注記]って来てヤレヤレよくマア、斯う考えられたもんだと自分でびっくりするほどだが、あの人はあんなに飾りっけのない気取らない調子で話をしたり考えたりして居るが――一体私をどう思ってるのかしらん。そうと空気ん中にとけ込んでさぐって見たい――
すき見をされた様な気がしてせわしくあたりを見まわした。そして一寸自分のかかとを小指でひっかいた。そして又続きを考え始める。
デモマア、彼の人が一番私の気持を知っても居、又私の考えに似た事を考えてる様だけれ共、私がよっぽど年上で居ながら心のそこをのぞかれて居る様な気がする事があるが――キットあの上眼で見つめるのが私の心に妙に感じるのかも知れない。キットでもマア、えたいの分らない妙な娘さ、何、たかが女だもの、そんなにビクビクする事はありゃあしないさ、こんな事をのべつまくなしに考えた。
いつも無雑作にかみをつかねて気楽そうな様子をしてながら時々妙にジッと見て居り、深く深く心にさぐりを入れて居る様にだまって居て見たりするまだ年の若い娘の事が妙に気にかかる。「マ、どうでもいいさ、人なみに御飯をたべて居る人間なんだ」こんな事を云っておう来の見えるまどによっかかった。弁当をぶらさげた職人や御役人さまというみじめな名にとりこになって居る人間達が道に落ちてるゴミ一本でもためになればのがさずひろって行くという様な前っこごみのいやな風をして歩いて行くのが見える。つくづく自分ののんきさがうれしく思われる。
親父にはどんな事があってもなりっこなしにするのさ――どじょうっぴげを気にしながら小供のお守をして居る親父殿を見るとすぐ斯う思われた。何かすぐ筆の下せる様な人が通ればいいがナアと根気よくまって居たが、来るどころか皆いやな様子のものばっかりが通る。何とはなしにかんしゃくが起る。かんしゃくが起ると自分の体をあつい鉄の板の上になげつけてやりたい様になるって云ってたっけが、一つここからとんでやろうかナ、立ち上ってフト――窓からは飛ばずに階子をかけ降りて三味線をつかんで又かけ上った。
調子なんかかまわずにただ一寸はじいてもいい音がする。そのつながりのない一つ一つの音にも何となく思いをはらんで居る様なので撥のはじで一本一本丁寧にいろんな音を出してはじいて見る。
その音の中から何か湧き出して来そうな気がする。撥をすてて爪弾をして居ると、何となくその音がこないだ見た紙治の科白の様にきこえる。どうしてあの時はあんな風に酔わされたのかしら、涙が出て――涙が出て恥かしいほどだったが、涙のこぼれる方がまだ好いんだ。三味線をほっぽり出して壁によっかかってあの時のうれしかった事を思い出す。あのなよなよとした肩っつき、頬かむりの下からのぞいた鬚の濃さ、物思わしげな声――それだけ思っても頬が熱くなって来る。
あの通りの着物を作ってしっとりと着て見たらさぞうれしいだろうが――あの時はまるで自分が紙治になって居た、傍で見て居たら、キット一緒に首を動かしたりうなだれたりして居たんだろう。も一遍あんな気持になって見たいナ、若い娘がいい人の事を思い出した時みたいにトキントキンとどうきが高くなって眼がかすむ様になって居る。「いいなあ」我知らずこんな事を口走ってしまった。下でおっかさんが「お昼だよ」って云ってるけども行きたくなんかありゃあしない、ちっとも。こんないい気持でこんなおだやかな心でこのまんま死んじまいたい様だ。
何を考えるともなく目をつぶってうっとりとして居た。何にもする事もなし、浜町にでも行って焼絵を書いてでも来ようか、と思い立ったんでスケッチブックをつっこんでフラリと飛び出すとおっかさんが何かしきりに云ってなさる。何かしらと思ってあともどりをして見ると、蟇口を忘れたんだった。「のんきな奴だ!」と云ってしまった。しばらく歩いて見たが電車にがたがたゆすぶられるのもと思ってお師匠さんのところへ行ってしまった。
「マア、随分この頃はお見限りでしたネ、貴方のこったからって云ってたんですけれ共」
いきなりこんな事をあびせかけられた。稽古台はからっぽで縁側に三つ四つ友禅の帯が見えて居る。一番はじっこに居る娘のえり足が大変にきれいだ。お師匠さんにうたわしてひかして自分はだまって遠くから見て居ると、自分が手をもって教えてもらった人の様には思えない。一寸絵になりそうな様子の女だとこないだっから思ってる。
金のいやにデコデコした指環のある手で器用にひきこなして居るのを見ると、若い時の事がフッと思われる。新橋の何とかと云う妓《コ》だったってきいた事があるが、今の年でこの位なら若い時にはキットさわがれて居たんだろうと思う。四人の娘達がかくれてばっかり居ていくらよんでも出て来ないんでいやな気持になったからプイと出て浅草の仲店に行って見る気になって電車にのる。沢山のって来る女の中でマアと思う様なのは一人もいやしない。芸者らしくない芸者を見たりみっともなく気取った女を見たりするとつくづく素足で何とも云われないほど粋な様子をして居た江戸時代の柳橋の芸者がなつかしくなる。仲店を幾度も幾度も行ったり来たりして三四枚スケッチと玩具の達磨と鳩ぽっぽとをふり分に袂に入れて向島の百花園に行って見る。割合にスケッチも出来なくってイラついて来たんで電車にのって山下まで行った。あのうすっくらいジメジメしたとこに帰るんだと思うとたまらなくなってしまったんで又九段の友達の家に行く。二人でやたらにシンミリと紙治の話をしこんでしまった。あれもほんとうによかったネ、私だってないたサ、あの着物そっくり着て見たいと思ってるんだ。私は紙治のまぼろしと心中してしちまいそうだなんて云ってたほどだから……たまらなくうれしかった。ここにも私の味方がある、こう思われた。そんな事でよけい家に帰りたくなくてとめてもらうよと思いきって云ってしまった。いいともさ、私だって帰したくなかったんだもの、とあれも云って居た。二人で手をにぎりあって十二時の時計をききながらもねようともしないで、「二十三だネ、もうお互に……」こんな事を云って、今朝なった様な恐ろしさに又おそわれてジッとあれによりかかって居た。「でも若いよ、まだ……」あれはこう云って丁度大病人に医者がまだ心臓がはっきりしていらっしゃいますからって云うような調子で云って私の髪を指の間でチャリチャリと云わせて居た。
嬉しくってかなしい――夜は更けて行く。
〔無題〕
私達……私達ばかりじゃあなくたいていの人が、本の表紙などは一寸見てもうはなされないほどすきになるものや又もう二度と見たくない様な心持のする本もあると云うことを云う。そんなこと思うほうがほんとうか……おもわない方がほんとうか?
インクの色もその人の年によってすきな都合が違うと云うことをこの頃になって知った。
ようやくインクをつかいはじめた年頃から私達より一寸大きいころまでははっきりとしたブリューなんかがすきで、二十ぐらいになるともうじみな、書いたあとの黒くなる様なインクがすきになる。
その色のすききらいのぐあいはその年頃によってこの気持によるものらしいと私は思う。
私達は姿のととのわないものをすべて十五六と云って居る
十五六の時の娘達や男の子のととのわない中ぶらりんの姿をたとえたものである。
私は妙な子で自分の十五六なのを忘れて、十五六、十五六と云って居る。
十五六って云う時ばかりよけいにとしとったようなきもちで見下すように「十五六ですもの、貴方」と云って居る。
いそがしい時なんかに一日二日病気になって見たいと思う事がある、人間にありがちな気まぐれなものずきな心持で……
この頃よく小さい大人を見ることが有る。何だか若い命を短くされたんじゃあないかと人ごとながら可哀そうに思われる。
四十近くなる女の厚化粧と、庇がみのしんの出たのと歯の間にあかのたまって居るのはだれでもいやだと云う。
なんでもつり合わないのは一寸妙なものに思われるに違いない。
ゴチゴチにすみのくずのかたまった筆を見ると人間のミイラを見る時とそんなに違わないほど見せつけられる様な
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