んかってうたいながら、二階の私の居る部屋にいつでも降りて来る女が居るんですよ、二十位でネ、いい様子じゃあないけれ共、自分をいい様子に見たがって一寸椅子に腰かけるにもまっすぐにはかけない人なんです。考えはなくっても口ではいろんな事をしゃべりますよ」
「ヘエ、それでも一つ位いいとこはありましょう、女ですもの……」
「まつげが思いきって長いんです、目つきは悪いけど……」
「私はまつげの長い人が大すきなんです、だからだからその人もすきんなるかも知れませんワ、会って見たら……男の人でもまつげの長い人はすきですもの……」
「エエそうですよ、まつげの長い人は下目をした時にきれいなもんです……」
「この頃、貴方の書きたいと思う様な人がありまして?」
「ありましたとも、大ありだったんですけど……ほんとうに思い出しても腹が立っちゃあうんですよ」
「逃げられたんでしょう」
「にげ様にもよるじゃあありませんか、マア、斯うなんですよ、私がネ、こないだ新橋に行った時、ステーションにですよ、その時あの玄関に二人女が立ってたんです。十七八の年頃で、同じ位の年でネ、どっちもきれいなんです。一人は、洗髪にうっすり御化粧をして、しぼりの着物に白い帯をしめて……も一人は大模様の浴衣がけで同じ帯をしめてたんですが、着物の色の顔にうつりのよかった事ったら、たまらないほどだったんで、とうとう我まんできずにその女のとこに行って、『書かして呉れませんか』ってたのんだんです、そうするとマア、思いがけなく『エエ、ようござんすとも、こんなおたふくで御気に入りゃあ』って云ったもんで家から、場所から――御丁寧に道順まできいたんです。新橋のネ、橋の一寸わきの芸者なんですよ、マア、その晩私がうれしかった事、一晩中ねられやしませんでしたよ、ほんとうに……」
「マア、それまででにげられるんなんかって……抱え主が苦情でも入れたんでしょう?」
「そうなんです、それから翌日、ホラ、あの二百十日前に荒れた事がありましたっけネエ、あの日に絹から筆から硯まで抱えて、新橋くんだりまで絹をぬらすまいぬらすまいとして出かけてその家に行ったら……始めは居ますって云って、あとから居ないって云うんでしょう、いつかえるったってあいまいの事ばっかり云ってらちがあかないんです。だからキット抱主が苦情があると思うからそれっきり行かないんですけど……あんな情ない腹の立った事はありゃしませんよ、ほんとうに、あんなものは二言目には金なんだから……」
「……」私は一寸何と云っていいか分らなかった。あたり前にお気の毒さまなんかって云うのがいやだったんでだまって居ると、「貴方モデルになって呉れませんか」こんな事を云い出した。
「なったってようござんすワ、だけど私が私の勝手でした風が貴方の気に入ったんならお書きなさりゃあいいわ、毎日でも……わざわざ私の気から出たんでもなくって、貴方の心のまんまの形を作るのはいや……」
「何故?」
「何故って……あれじゃあありませんか、貴方が今私に本を見ていらっしゃいって云ったからってその風をしたって、私の心の中にそんな気分がなければ、形と気分とはなれたものになっちゃあうじゃありませんか。だから私が心ん中から思ってした様子はいくたびしたってまるで気持と形のはなれきったものにはなりませんもの……」
「そいじゃああんた中々そう私の思う通りの風はしないでしょう?」
「そりゃあそうかもしれませんワ、私はどうしても心にない様子や事を云うのは大っきらいなんだからしようがりゃしません」
 私達はてんでんに別な方を見て斯んな事を云って居た。
「私ね、幾年も幾年も一つ家に暮して居たくないんですよ、毎日毎日どっか違ったとこにすまって、まるで違ったものを食って居たいんだが……」
「そうなさいな、いくらだって出来るじゃありませんか、女と違って男ですもの、そんな事は勝手じゃありませんか」
「でもやっぱりひとりじゃあないからそうも出来ないんですよ……」
「そんなら部屋の様子でも一日ごとにかえてたら少しはましでしょう」
「自分でするのが面倒だから……」
「そんなら面倒くさいからこうすりゃあ一番ようござんすワ、貴方のもってるもの、筆でも絵の具でも紙でも絹でも皆んなこの部屋の中にぶちまけちゃって、そんなのにもぐり込んで居れば手にあたるものがみんな違っていいでしょう」
「そうですネー、今もよっぽどそれに近くなってるから……そう云えばまるで違う話だけどこないだ一寸女んなったんですよ、学校の着物をかりてネ、紫の大振袖に緋の長襦袢を着て厚板の帯をお太鼓にしっ[#「しっ」に「(ママ)」の注記]て雨の降る日でした。マントを着て裾をはしょって頭はこのまんまで先生のうちに出かけたんです。門のとこにマントをかけて置いて、蛇の目を深くさして白足袋をはいて『御免下さいませ』ってやったところが、先生の奥さんが出て来て『いらっしゃいまし、どなたさまで』っておじぎをなすったんで傘をもったまんまポッカリ頭を下げると、先生が出て来られて『マア上り給え』と云って半分笑われ半分叱られて来ましたっけが……面白いもんですネー、又して見ようと思ってます」
 美術学校の人のよくする事だと思って私は笑いながらきいて居た。心の中でそうっと私も男にいつかばけて見ようと思って居た。ヒョイと見ると歌まろの絵のわきに細筆で書いたらしい様子に「あの女」と書いてある。私はそれをジーッと見つめて居ると「貴方、あの女ってのを見つけたんでしょう」ってその人が云う。「エー」私はそっちを向いたまんま返事をする。
「先にここに同じ級の書生が二人居た時に一人の男がフッとすれ違ったそんなにいい女でもないのがどうしても忘られないってしょっ中教えてたんでも一人が何だかここに歌みたいなひやかしを書いたのがまだ残って居たんです」こんな事を云って呉れた。ポツンと話のとぎれた私達はあの女と云う字をジーッと見つめて居たが、いつだったか長唄をならってるってきいたんでそれを思い出して、
「貴方三味線きかせて下さいナ、下に居るあのまっくろな猫もつれて来て……」と云った。
「いつきいたんです……エエひいてもようござんす。手がも少し白いといいんですが……」
 こんな事を云ってまっくろい猫と三味線を抱えて来た。まるで女の様な手の曲線を作って本調子で何だかこう、あまったれた様なやんわりした気持になるものを爪弾して居るそのうしろには豊国の絵の女がほほ笑んで、まっくろに光る毛なみとまっさおな目をもった猫は放った絵絹の上にねて居る――何となしに私の心持にピッタリあったものがある様でその器用にうごく手を見ながらほほ笑んだ。
 その人は小声になんかうたって居る。かえって文句のわからない方が私にはうれしい。まるで傍に人の居るのを忘れた様に自分の爪の先からかき出す音の行末を追う様に耳をかたむけて居る。私はそのしのび泣いて居る女の様な何とも云われないやさしみとつややかさをふくんでないて居る爪弾の音にいつも私がなる様に目の内があつくなって来た。私はかるく目をつぶりながら「あの黒い髪をちょんまげに結わせて――よろけじまのお召の着物を着せてその青白い細面てのかおにうつりいい手をして居たら……」こんな事を思った。
 斯うしたおだやかなうっとりした様な気持のさめないうちに、今の気持をソッとかかえて家に帰ろう、つづけて斯う思った。
 そして自分を忘れて細い糸からもれて来る音にたましいをうばわれて居るその人のまっくろな眉を見つめた。
 まどから見おろす庭の萩ショッキ[#「萩ショッキ」に二重傍線]がうちきらしくうなだれてこまっかい樫の葉一枚一枚のふちが秋の日に黄金色にかがやいて居る。しずかだ。

     二つの心

 二つの人間はピッタリと並んで歩いて居る。その後に長く引いて居る影もその間にすきのないほどくっついて居る。
 女同志でおない年でおついの着物で――
 顔と髪の長さの違うばかりである。
 二人は御墓の間を歩いて居る。
 かたっ方の心は、
「何と云う御線香のにおいはいいんだろう、そして又この静かさといったら、こうやって歩くのにほんとうにふさわしい」斯う思って居る。「おおいやらしい、こんな所は早く通りすぎちゃわなくっては、あの沢山の墓の並んで居る様子といったら」
 も一つ心は斯う思ってるっていう事をだまったまんまでも一つの心が見ぬいて居る。
 二つの心のまるではなればなれな事を考えて居ながら、それで居ていかにも仲よさそうにして歩いて居る。こうした気持をもって居る一人は私、も一人はおけいちゃんである。
「私もうこんなとこいやだ、どっかもっとにぎやかなとこへ行かなくっちゃあ」
 おけいちゃんはそんな事を云い出した。
「ちっともそんな事はありゃあしない」
 私はお敬ちゃんの手をにぎって、細い道を縫って歩いて居る。二人の下駄の音の外には何にもきこえない、一言も口をきかずに手を夢中でにぎりあったまんま、まるで気の狂った様に歩いて行く。
「そんなにいじめずにサ、ネ、別んとこへ行きましょう。私もう我まんが出来ないんだもの」
 立ちどまっておけいちゃんはあべこべの方に私の手をひっぱりはじめた。私も一緒にたちどまっておどおどした様な子供子供した御敬ちゃんのかおを見つめる。思わずうす笑いが口のはたに浮ぶ。
「ほんとうになんだか気味が悪い人だこと、それに今日はいつもにもまして変な様子をして」
 私の見つめて居るのをさける様にわきを見ながら云って居る、フッと私の心ん中で「今日は私の一番仲の好いこの人をいじめて見よう」こんなむほん気が起った。
「私ここが大好きなんだもの、こんないいところってありゃしない」
「何故? 私こわくってしようがない」
「何故って分らないの、お墓は人間が限りない長い間、棲んで居なくっちゃならないうちじゃないの、人間が空気を吸ったり吐いたりして居た時よりも倍も倍も長い間ネ」
「貴方は墓すきなのネ、キット、だからこんなに私をいじめてよろこんでるんだ」
「好キだワ、そりゃあ、しゃべって働いて食べて居た時よりも石になるとその倍も倍もの意味があるから……」
「私そんなことはどうでもいいから、早くよそに行きましょうよサー」
「いや、日が暮れてもここに居るワ、私の帰りたくなるまで……だけど私、貴方がすきなんだからいい」
 私達はいつの間にか歩き出してこんな事を云いあって居る。お敬ちゃんはたまらなくこわそうに、私の手につかまって、下駄をひきずって歩いて居る。
「私達はもうじきに別れ別れになる時が来るんだ、キット、今日はその前兆に違いない様に思われる」
 お敬ちゃんは年をとった様な声で云った。
「エエ、別れ別れで居たものがこうやって一緒んなったんだから又別れ別れになる事はあるかも知れないがまだなかなか私の死ぬその時までは大丈夫だと思ってる。私お敬ちゃんがすきなんだから……エエ、そりゃあ大好キなんだから……」
 こんな事を云う間お敬ちゃんは淋しい目つきをして私を見て居た。
 私は私を真面目に見てて呉れる人をこんないたずらをしちゃあすまない、斯う思われて来た。かまわない今日一日は自分で自分の心がどうにもならないほどにいじめぬいてやる。私は自分の気持をジーッと見つめながら斯う云った。一寸たちどまって又歩き出した。
 二人は手をしっかりにぎりあって居る。その指先にはお互のかすかなふるえがつたわって居る。早足にトットッと歩いた。
 お敬ちゃんはもうどうなっても仕方がないと思い、私は只あるいてさえ居ればいい、斯う思って居る。いくつもいくつもの細い道を曲った。そのたんび二人はもと来た道をふり返りふり返りして居た。
 私の心ん中は妙にかちほこった様なこんじょの悪い力づよさがこもって居る。
 お敬ちゃんは私のためならどんな事でも、と云う様なすなおな「マア」と声を出したい様な様子をして居て呉れる。そんな様子を見た私は段々むなしい気もちになって来た。けれども「何! 何! 今日一日私の心をいじめてやるんじゃあないか」斯う思って奥歯と奥歯をしっかりとかみ合せた。そうして又歩きつづけた。
 一足
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