迫した必要から、やはりその一つのトマトを欲しく思っているかもしれないなどとは思いもせず、必要の人が多ければ多いほど、我勝ちと猛ってそのトマトを買ってしまうだろう。うちの子にヴィタミンがいるという知識は、やはり科学知識の一つであるのにちがいはない。
 しかし、そのとき、その場に居合わせる人の中でそのトマトを一番欲しがっているというよりも一番必要としているのはどういう状況の子供か、というところへ迄、母親としての念が働いてゆくとき、そこには最も初歩の形なりに科学の精神が輝くのだと思う。母性の愛は、科学の精神に導かれて、主我的な我が子への執着からよりひろやかな人間の子の母の心情へまで移って行き得るのである。
 真実を儚《は》かない態度とか、同情、愛というような私たち人間の感情を、古風な学問の範疇では道徳、倫理の枠に入れて考えて、科学とそういうものとは別々に云いもし、教えもしていた。仮に二つのものを一つに結び合わして考えたい心持のひとは、二つに分けられたままにただそれを並べてくっつけて云って、結果としては科学知識プラス宗教或は科学知識にプラス道義とかいう形に止った。
 人間精神の溌剌さは、現実の
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング