限された範囲内で持っていることは確かなのだろうが、この場合、その人の全精神が、客観的な真実を愛すという科学の精神によって一貫されてはいないことも亦確だと云わざるを得ない。一寸考えると、ありそうもないこういうことが現実に存在する。
若い女性について、科学の知識は相当ある筈なのにそれが生活の中では一向活かされていない、という非難が屡々《しばしば》云われている。それなども、つまりはそれらの女性たちが方程式の形だのでは可成りの科学知識を与えられているのに、教育のうちに肝心の科学精神を何も体得させられていないために、実験室があるわけでもない日々の暮しの中では、その知識も死物となって行くのだろうと思う。
科学の精神というものと、ただの科学知識とは決して一つものでない。
どんなに身勝手なひとに思いやりのない母親でも、この頃の母親なら自分の子供を育てるのに一応科学的な知識が必要だということは心得ている。自分の子のためになら随分と面倒くさいヴィタミン補給の方法もとるであろうと思う。こういう母親は、自分の子にトマトをたべさせようと思って、店先に一つしかないのを見れば、もう一人そこにいる母親がどんな切
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