念があらわれていると思う。そういう存在として見られ育てられた学生たちは、家庭にあってやはり一種の若き世代としての尊厳と理想とを持していただろうと思う。新しい社会に、新しい家庭生活というものをつくり出してゆく者として自分たちは名誉ある義務と責任とを負わされている自覚を拒んではいなかっただろうと思う。諭吉の「新女大学」はそういう世代の生活の新鮮なモラルの目醒めに呼びかけたものでもあったのだと思う。
 今日学生生活はあらゆる面で再編成されていて、学生といえば苦労のない暢気な時代という概念は根柢から変って来ている。学生の二十四時間は、その第一時から第二十四時迄が、何かしら社会的な視線のもとにさらし出されているような感じになって来た。学生は、学生であるということで、自身の時間というものへの愛着を必要としないものとされて来ているようなところがある。未成年者として服すべき義務、受けるべき練成が、その対象としてあらわれていると思う。
 家庭の中で、たとえて云えば妹が冗談に、あら、お兄さん、いいの? かけて――学生のくせに、と椅子の不足しているとき兄を睨む気軽さ愛らしさは、そのものとして天上的に邪気がな
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング