――じゃあ直ぐ仕度をするといいわ、私がお膳立てはしてあげるから」
「そうでございますか?」
 おくめは、始めて亢奮を包みきれない声を出した。
「それでは、真個《まこと》にすみませんが、一寸やっていただきます。直ぐ帰って参りますから。――何だろうか」
 そう定《きま》ると、彼女は、ろくに米子を見てもいられない風で娘の方に向いた。
「着物を着換えて行かなけりゃなるまいか、寒いのに億劫《おっくう》だね。……髪もこんなだし、……まあ、いい。仕様がない」
 おくめは、もう主婦の前などを取繕っている余裕はないらしかった。皿小鉢などを、茶の間に運ぶ米子の傍をすり抜けて、自分の部屋に入ると、後から後からとのぶ子に相談をしかけては、水櫛で鬢《びん》をかきつけ行李の底から外出《よそ》着の羽織や襟巻を出し、手伝うにも勝手が判らないで立っている娘の廻りを、おくめは、四畳半一杯に動き廻った。
 そして、息を弾ませるようにして、せかせかと、古風な下着の襟がちぐはぐに出過た胸元に、黒繻子の帯をしめた。
「おや。ハンケチを見なかったかい。困っちゃうな、滅多に改った風なんかしないもんだから……お前はもうそれでいいの?」
前へ 次へ
全30ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング