………」
おくめの、久しく剃刀《かみそり》を当てない眉の辺《あたり》には、明に躊躇の色が漲った。麹町というのは、長女のふさ子の嫁入っているところであった。良人は内務省の小役人をしてい、家では内職かたがた薬局生を置いて薬種屋をしている。そこから、看護婦養成所にいるのぶ子は再々学資の補助を受けているのである。
「この間、行った時にね、こんど来る時は是非連れて来いって云うんでしょ。今月は、少し余分にお金がいったから、姉さんなお喧《やかま》しいんだわ」
「……阿母さんだって行きたいところなら、もう疾《と》うに行っているさ。行けば何の彼のと五月蠅《うるさ》いし……」
「だって、東京へ来て、もう半年にもなるのに、一遍も行かないのはひどくってよ。――今夜は駄目? どうせいつかは行かなけれゃあならないんだから。お暇が貰えたら今日来て下さいよね?」
「お暇の貰えないことはないだろうが……」
母の、行きたくもあり、行きたくもなしという素振《そぶり》を見ると、のぶ子は、充分自分の勝味を感じて熱心に勧め始めた。姉が、どんなに母の不沙汰を良人の手前片身せまく感じているか、一遍母が来て、自分のために口を利いて
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