三十の時に良人を去り、十五年の間、おくめは、危うい手許に、やっと生き残った二人の娘を抱えて来たのである。

        三

 久し振りで出かけたのだから、おくめは、きっと泊って来るものと沢田の家では思っていた。
 けれども、十一時過て、そろそろ寝に就こうかという時分、彼女は、不意と格子を開けて帰って来た。
「まあ、帰って来たの? 泊って来たってよかったのに」
 主婦の前に、おくめは、先ずぽくりと頭を下げた。
「ただいま」
「どうだって?」
「有難うございます……」
 不思議に言葉少いおくめを見、米子は、怪しむような表情を浮べたけれども、何か、彼女を寡黙にさせた原因が麹町であったのだと察したらしく、米子は、それとなく、おくめの前から立ち上った。
「草臥《くたび》れただろうから、緩《ゆっ》くり休むといいわ。こちらはもういいから」
 それに対しても、おくめはただ、黙って頭を下げた。そして、自分の部屋に入り、襖をしめ、出がけとは正反対ののろさで、ゆるみかけた帯を、畳の上に解き落した。片隅に小机を置き、袋戸棚のある四畳半はまるで、今までとは別なところのような心持がする。
「それにしても、何
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