が人々の注目をひいて、文芸雑誌はそのために関心を示した。文芸評論が再び興隆したという意味とはちがう形で、その頃文学の領域には議論が盛だと思う。随分議論だらけである。けれども、作家と時代とのいきさつを、本当に大局からみて、歴史の足どりがその爪先を向けている磁力の方向と、その関連に於て作家一人一人がそれなしに文学は創造もされず存在もしない個々の独自、必然な道をどう見出して行くかということについて、何となし遠く大きい見とおしのあることを感じさせる議論は、割合に多くない。文芸評論にあらわれた変化としてそういう現象そのものが、今日の日本の社会と文学の性格を語っているのであるけれども、日本というものが益々世界的規模で考えられるようになり、日本文学というものが従って拡大された世界文学の動きの中で考えられる時代に来つつあるとすれば、作家の生活感情の具体的な周密沈着な現実への沈潜と、その沈潜において世界史的実感が把握されるように豊富にされてゆかなければならないということは、痛切な希望だと思う。
 外国に暫く旅行したり滞在したりした日本の作家は、殆ど例外なく、国にいるとき知らなかった一つの制作的欲望に刺戟
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